三浦賢治郎著「縄文人(びと)からの手紙」図書紹介

三浦賢治郎著「縄文人(びと)からの手紙」をご恵贈いただきました。

著者の三浦氏は、佐竹藩士として京の都から水戸、そして久保田(秋田)の地に赴任した武士の末裔であるにもかかわらず、農業の重要性、将来性を認識し、若い頃に自ら稲作を中心に果樹も含め農業に従事することを志願した人物である。
若き三浦氏は田畑を耕したときにふと目にした石器のとりこになり、昭和22年ごろから縄文時代の研究に勤しんでおられる。その三浦氏が昨年、本書を発行された。貴重な資料となることは附言を要しない。とは言いつつも、これは考古学研究において非常に重要な資料となるものであり、現に過去においても考古学者らが三浦氏の土地を訪れている。
なお縄文時代に思いを馳せる三浦氏の詩も巻末に載せられている。
縄文時代に関して興味のある方はぜひご覧いただきたい。
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秋田には幾度となく訪れているが、不思議な地である。
人工のピラミッドであるとされた「クロマンタ山」や、イギリスのストーンヘンジ"stonehenge"に共通するものがある「環状列石」。
また、江戸時代後期に活躍した「写楽」の正体が取り沙汰されているが、その「写楽」なる人物の正体は、阿波藩の能役者であるとか、司馬江漢や葛飾北斎など数々の説が提唱されている。だが、これらの説から、ある共通点を見出すことができる。それは秋田藩である。写楽が活躍していた時代についてみるに、佐竹藩の分家の四男坊であった蜂須賀重喜(佐竹義居)の長男が当時の阿波藩主であり、司馬江漢や葛飾北斎などは秋田蘭画の影響を受けている。葛飾北斎や歌川広重が使用していた西洋由来の青色の顔料、プルシアンブルーは秋田蘭画でも使用されていた。
結局のところ秋田蘭画が浮世絵、そして漫画に大きな影響を及ぼしたことを窺い知ることができる。
歌舞伎役者の地位も佐竹の貢献があったと考えられ、そういった諸々のことからしても徳川にとっては由緒ある佐竹家に対する憧れとともに脅威が一層強いものとなったといえる。ときには家臣の仕業によるものがあろうけれども。
良い者、秀でた者をつぶしにかかる風潮はいつの世にもあり、これがいろいろな事柄の進展を妨げたことはいうまでもない。

これからは女性、男性を問わず、その才能を発揮できる場をより多く設けることである。
子供の夢を育み子供を大事にすることは重要である。夢を持ち続け大人になった者の活動を阻害することは結局のところ、子供の時の夢が開花することなく成功前の蕾を摘んでしまうことになる。

三浦氏の著書からいろいろなことが頭に浮かんだ、というところで書評はおしまいといたします。



by utplaw | 2019-04-07 20:27 | 佐藤より  

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